ワークショップvol3、vol4の感想3
かなり長文の感想いただきました。
ですので、抜粋して、2回ぐらいにわけて掲載させていただきます。
なにぶん、このワークショップは前例がない内容になりますので、うまく伝えられたり、そうでなかったり、申し訳ないと思う反面、どう受け取られているのかは、とても面白いところです。
もちろん、正解はありません。
役者ではなく、また表立った表現活動をしていない立場での感想となります。
「身体演技」という名前のワークショップですが、内容は主に「身体」と「文化」の2種類に分けられると思います。
「身体演技」のワークショップは、かつての日本人がどのような身体の使い方をしていたのかを勉強しようというコンセプトだと私は思っているのですが(私がそう思っているだけかもしれませんが)、かつての日本人は実際にどう動かしたのか?が「身体」、動かすにあたってどのような考え方をしたのか?
が「文化」にあたると考えています。
3回ほど参加して感じたことは、私にはこの「身体」の分野がほとほと不得意であること。どちらかというと「文化」の分野に興味が傾いているということです。そんな私でも表現によっては「身体」の分野でも意味をつかみやすい瞬間がありました。
ワークショップの内容というよりは、休憩中の雑談・こぼれ話の類であったと記憶していますが、書道で使う筆の話題が挙がったときのこと。
なにか書を書くときに筆を持つと、どうも緊張してしまう。しかし、書く前に一度利き手とは逆の手で筆を持ち、再び利き手に戻すだけで緊張がほぐれる……というお話。
うまく書こう、間違えてはいけないという意識が強くなり、変に力んでしまうのが緊張の原因だと思いますが、ただ筆の持ち替えを行うだけでその意識が一度リセットされて緊張がほぐれる。一度外の空気を吸うとか、部屋の空気を入れ替えるというニュアンスに近いのかもしれません。このワークショップは婉曲的な表現が多く、先に述べた基礎体力や経験値の不足を差し引いても意図を掴みづらい部分があります(これははっきりとした表現を避けるという点でわざとそうしているようです)。
頻繁に表現される「意識/感覚をズラす(流す)」とは何なのか? まだ慣れていない初回にいたっては、今はいったい何を習っているのか? というところすら非常に掴みづらかったのですが、この話題に触れた途端、腑に落ちるものがありました。
(あくまでも私がそう思っているだけですが)書道をしている際に良い出来になるときというのは、程よく力が抜けているときだと思います。肩の力が抜けたとき、何も意識していないとき。そういった「良い意味で力が抜けている状態」を身につけてお芝居に役立てようというのがこのワークショップの意図なのではないか……と、参加回数を重ねてようやく輪郭を帯びてきました。
この筆の話題でこれに気がつくことができたのは、おそらく少しだけ書道を齧っていたからだと思います。書道の基礎体力(というにはおこがましいですが)、経験値があったから……と思うと、非常に納得がいきます。
ありがとうございました。理解してはダメですよと、言いながら、感想お願いしますって、これ理解を促してしまってますね。笑。
まあ、そこは緩く解釈して下さい。でも、ちゃんと自分で試行錯誤しながら、考えていらっしゃいますので、素晴らしいです。
今回のテーマは、刺激→反応→行動、というサイクルをやめて、感覚→行動→反応、という順番を入れ替える事でした。そうすると、とても面白い事がおきるような気がしています。そもそも、「無」というものが受け身であると思っていたのに、能動的な技として、「無」があるのではないか?という疑問が、出てきて、これはとんでもなく面白いお芝居になるではと、ちょっとした「夢」が、見られたわけです。もちろん、そんな簡単な話ではないとはおもいますが、「秘」すれば「花」じゃあねえの?ってね。
それで、ぶっちゃけ解説しますと、筆を持つまえに、筆を持った感覚が先にあって、それから筆を持つという刺激がくる、という順番を入れ替えてみると、あれあれ不思議、受け身であったはずの感覚経験は、能動的な経験として演劇的に扱うことが出来るじゃん!というお話でした。ごめんなさい。皆様、あまりピンと来なかったようなので、少しやめにします。次!次!次の実験じゃ~!