ワークショップの感想です

正直脱線した部分の話が相当興味深かったりして、五時間色々詰め込んで帰りは飽和状態だなという感じです!多分結構忘れてしまうかもなぁとも思っていますが、元来口伝で授かる文化だと教わったことを覚えているので、それを問題とも思いません。
なんども思い出しつつ体に入れていきたいなと思います。
今回教わった事で腑に落ちなくても、それで良いしそのうち腑に落ちる時が来るかもしれないというWSなのでそれも込みで教えだな、という感じです。
今日は挟みつつやっていただきましたが
セリフを読み実際的に芝居に挑む時間と、身体動法の時間と、完全に分かれて教わってみたいなとも思いました!

そうですね。お芝居だけをみっちり、やってみるというのをやりたいですね。
脱線した部分は、言ってはいけないことも含まれてしまったので、内緒にね。笑
少しでも集中した時間があればよいのですが、、この集中の深さを求めていきます

芝居を作る時に見える景色、その世界などを曲線と捉えたり、今ある世界に全集中して行くという事を実感して学べた気がします。 マイズナーメソッドなど少し学んだ事もありましたが、感覚でやる方がやりやすかったです。 西洋と東洋の文化の違いなども改めて感じました! 論理的じゃない方が私には分かりやすかった気がします。 演出家さんによって全く自分の考えと違うものが提示されてモヤっとする時があるのですが、そのモヤッとを受け入れなければならない時は、どう噛み砕いて行けば良いんですかね…ディスカッションは勿論なのですが…
最終的には演出家さんとすり合わせもするのですが、これで良いんだろうか?って迷いが生まれて演技やってても引きもどるパターンが多いです… 信じ切るにはどうしたらいいのか…

サンフォードマイズナーさんの本も素晴らしいのですが、「きっかけの台詞は拾い上げない、衝動を拾い上げるんだ」・・、とか、かなり難しいこと言ってますね。それには、台本をよく読めと。これだと、台本がダメなお芝居は、きついですね。それに、ちょっとイレギュラーしたときの応用が難しいです。まあ、だから学びに学校にいらっしゃいということですけどね。笑
相手の台詞に反応するということは、けっこう大変ですよね。だから、相手役が下手だと怒ってしまう。笑
まあ、それは、さておき。演出家さんと考えが違うときですね。解釈が違う監督さんですね。監督や演出の存在の是非は、ともかく、立場上従わないといけないことに現状はなっていますからね。その時、どうやって迷いを絶つかですね。

これ、究極な事を言ってしまうとですね。
精神と身体は、文化を介さないかぎり、交流がないんです。ですから、精神側である演出は、例えば台詞の解釈とかですよね。それらは、身体演技において、意味がないというか影響を受けないのです。言われた通りに従えばいいんです。演出はそうして従いましてですね、その代わり身体は、こちらの自由に芝居させていただきますよというわけですが。まだ、わかないですよねそのあたりは。

例えば、自分はまだ生きたいと精神で思ってても、コロナで死んだりするわけです。それは、身体の勝手です。
この場合、精神の制約をうけてない身体があるわけですよね?
西洋では、この精神で身体をコントロールすることを良しとするわけですが、
日本は、もともとコントロール不可能な身体は、身体のまま集注してしまおうということです。
精神と身体の二元的、集注をめざすわけです。最初っから、統合を図らないわけです。

そんなことで、芝居が成立するの?
ですよね。自分は明るい役だと思ったのに、暗くやれって演出家に言われて、そうねそうしたらいいです。暗くやるわけですが、その前に明るい役として始めた集注がありますよね、そして、その時、集注の深さを身体の中にとるわけです。つまり明るい役だと思った集注のまま、その集注をどんどん深くしていくんです、すると、かならず、暗い自分とマッチする集注観が、でてきます。つまり明るい役だと思っていた自分の役は、深くしていくと暗い自分でもあったという訳ですが、こう文章で書いてても、なかなか、ラチが開かないので、ワークショップで実際に実験してみるといいかもですね。笑

ワークショップの中でも紹介しましたが、ビートたけしさんが、その男凶暴につきという映画で、人を殺すときは、楽しいことを考えていたと、インタビューで答えていました。それを真に受けて、常に楽しいことを考えて凶悪になれって考えたら、だめですよ!それではパブロフの犬になりますから、気をつけてください。

たまたま、その時の人を殺すという集注観が、おかしな自分と同じ深さにあったということだと思います。これだと、毎回集注のちがう、お芝居になりますが、表に見えるているお芝居は、一定になります。この映画の中では、楽しかった自分だけど、他の映画では悲しかったとかね。そう、そして、身体で扱うのは、そうした精神で捉えられる感情になるまえの世界です。つまり、身体の中では、楽しいとかつまらないとか、ない世界です。

 

 

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