緊張してしまう事について考察

ワークショップの中で、
現場で緊張してしまうことがあったりするのをどうしたら良いでしょうか?
という質問を受けましたのでちょっと考察してみます

緊張してしまう

誰でも経験することですし、緊張しない人のが、どうかしてるのかと思ったりもしますよ。
そこで、どうするかですよね。
メソッドなどでは、よく緊張とリラックスという言葉で、出て来ますが、、緊張しないようにリラックスするということですね。

この考え方は、とても現代科学的な発想です。熱がでたから、解熱剤を飲むみたいな。非情に短絡的な発想ね。笑
例えば、メソッド演技の講習で、あったのが、緊張に対して、リラックス=脱力みたいな奴。緊張しないようにリラックスするので、脱力してみる。でもさ、舞台の上で仰向けに寝転がって芝居してもね~~お客様は納得するの?。って思った。ド素人の頃の自分があります。怖くて聞けないし。笑。そもそも脱力して芝居できるの?僕にはわからなかった。

そうまずは、緊張の反対がリラックスなのか?ってことも、真面目に考えないとですよ。

これを対語理解ということですが、語学の勉強するときに単語をまとめて覚えるときにやりますよね。

重いの反対は軽いとか、愛してるの反対は、嫌いとか????ちょっと変でしょう?
愛してるの反対は、愛してない?愛してないなら、嫌いとか、極端でしょう?重いの反対は、重くない?なのでは?それで、この対語理解をやってしまうと、感覚が発動しないで、概念だけの話におちいりますので、こうした理解をしていたら、間違いなく解決策はうまれません。と思います。

ピアニシモを強くしたら、フォルテになるのか?絶対にならない!なったら音楽にならない。
どうしてか?集中感がちがうからです。ピアニシモという集注とフォルテの集注は、同一次元に存在していないのです?詳しくは、専門でないので、知りません。笑。勝手にそうおもっている。

つまり、緊張とリラックスを同一次元上にあるとした時点で、そのあとにする努力は不毛でしょう。
実際は、緊張という次元とリラックスという次元は、関係がないのだと思います。関係あるとした時点で、概念の机上の空論です。
では、反対を与えない。とすれば。どうするのか?

もっと違う緊張を作る、緊張を秘する、緊張を消す、緊張を流す、緊張を緊張していないものと同調する、などなどです。もっとしりたい場合は、公益社団法人整体協会の会員になってね。笑

それで、ここまで書いておいて、あれなのですが、

身体演技という立場で言わせてもらえれば

そもそも緊張は、精神活動なので、精神をつかった演技だと影響をうけますが、
身体とは、関係ありません。つまり身体演技に緊張は、影響をうけない

というか、精神集中するから緊張するのであって、身体集注すれば、緊張とは無縁の状態にはいれるはず。

このことを昔の日本人は、一生懸命かんがえてきた。だって、真剣で戦うのに緊張してたら不利です。

そして、このほっておけば、知らず知らず精神集中して緊張してしまうので、身体集注に自らを律するために、様々な型をつくってきた。これが日本文化。

しかし、この型を、堅苦しいと毛嫌いして無視している現代のポジティブな人たちは、しょうが無いので勝手に緊張して、ストレスを抱えて、向精神薬でも飲めば緊張もおさまるわけです。

どちらが良いかは、おのおのの趣味というか、感性の問題ですね。

礼法とかも、まず「無」が基本のはずですが、最近では、時流に流されて、感謝の気持ちが大切とか、相手を思いやるとか、言ったりしてますが~、いや~それで、無になれるのか?とっても疑問です。ハードル高!!感謝が大事だとした時点で、感謝できない相手に対して、緊張すると思います。

そんなイタチごっこは、辞めて、身体演技では、感性、感覚に集注していくわけです。そして、身体は幻、幽玄という世界に、自分を引きずり込めば、緊張とは関係のない世界がそこにはあると思います。これが芝居の沼、るつぼにはいるですね。笑。これは、まだ希望的観測ですが、頑張りましょう。方向性は、これで間違ってないと思います

 

 

 

 

Follow me!