演技前に新しい自分を作る

舞台で演じるまえに準備として、柔軟したり発声練習したり、運動したりと日常の自分と切り離して、演技をするための身体を整えたりします。
日常と違うテンションで臨まないといけないお芝居もありますが、基本的には、どんなお芝居をするにしろ、日常のままの状態でいきなりお芝居するのは、しんどいよねって、考えているわけです。
特に、お芝居を始めたばかりで、プレッシャーが多くかかる場合とか、そう感じている人は、身体を動かすことで、ある程度、気を紛らわすことが出来て、有効だと思うわけです。

ところで、役作りに関しては、はどうでしょうか?

舞台を始める前に、本当に自分をリフレッシュしていますか?
身体を動かして、気持ちを切り替えるのは、わかりますが、役作り関しては、引きずったままではないですか?

いや、むしろ、ハリウッドの演劇スタイルを研究しますと、役作りは、引きずったままであることを推奨していますよね?

例えば、映画「ブラックスワン」は、典型的なそれで、ナタリーポートマンさんが演じる役は、日常と役作りが、交錯して、麻薬に手を出したり、最後には、現実と空想の区別がつかなくなり、とうとう本番の舞台で、、、という。

そう、これを感動して、涙が止まらないと評するわけですから、この役作りは引きずるものだということを、正当化して容認しているわけです。

タクシードライバーという映画で、実際にタクシーの運転手をしたとか、浮浪者の役作りで、実際にホームレスになったとか、すべて美談として、伝えられているわけですから、たぶんそうなんです。

つまり、日常から役を演じているわけですから、芝居を始める前に、体操したり、柔軟したり、発声練習したりするのは、無意味であるわけです。という、矛盾が、生じるわけですが、ここは、難しい問題で、誰もそんなことを思っておりませんよね。笑

逆に僕は、ここは結構、重要なポイントなんじゃないかなって、思ってしまったわけです。(天邪鬼ですはい)

もし、演技が生き物であるとするなら、そこにあるべきポイントは、即興性であるわけです。あらかじめ準備されたものは、本来、何も必要性がないと言い切りたいところなんです。

もちろん、台本とか、衣装とか、セットとか、役割とか、もろもろ、入念に準備されたものなのかもしれません。ですが、それらをなぞれば、当然ですが、たちどころに演技は生き物では無くなり、芸術という位置から、ただの伝達媒体になりさがる可能性が大なのです。(あくまでも個人的な感想です)

そこで、僕が勝手に思うにですが、誰もが、リフレッシュする必要性が無いと思っている。この、役作りという準備されたものこそ、始まる前に、いったん、根こそぎ捨てるべきなんじゃないかなって、思っちゃったわけです。

舞台の前に行われる、禊ぎとしては、まさにこの心によどみを残す、役作りという、自分の人生とは関係の無いしかも想像された別人格は、すてるべきで、その手法は、研究されるべきだと思うわけです。いや、むしろ江戸時代までは、あったんだと思いますが、焚書されたんですねきっと。もちろん、自分の人格も一緒に、いったん消すんでしょうね。

でね、その方法論は、考え中というか、研究中というか、文字おこしが、難しすぎるので、口伝にて。しかも、機会があれば、、、笑

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