Vol2の感想いただきました。

東京俳優・映画放送専門学校の12期の飯塚さんがワークショップにご参加下さいました。
俳優で無く、映画、映像制作のほうなので、僕の講義は、学校でうけたことはありません。彼が監督として、ハリウッドの映像授業で映画を撮ったときに役者として、僕が参加して、知り合いました。

今回のワークショップを受けて、とても正直な感想、そして、とても真摯な態度で、ワークショップを受けてくれたことに感謝します
素晴らしい、感想文をいただきました。
良い点も悪い点も、現状の様子がよく書かれています。

ちょっと、長いですが、よろしくお願いいたします。

およそ時間にして2時間程度のワークショップでしたが、実のところかなり悩みながら過ごした2時間でした。
「感想をいただきたい」ということでお引き受けしましたが、こうして感想を書いている今もなお悩んでいます。
ワークショップの感想を一言で言い表すと、「よくわからなかった」というのが正直なところです。
とはいえ、何もかもチンプンカンプンというわけではなく、理論(座学)と実演(実技)を含む2時間ちょっとの間には何かを掴みかけた瞬間がありました。 しかしながら「なるほど、こういうことなのか」と何かを掴みかけた瞬間、それが消えてしまう。 例えば、頭の中でイメージがはっきりと見えかけたその瞬間、再びピンボケしてしまうような感覚。もしくは霞を掴もうとして失敗している感じ。 まるで「いやいや、そんな簡単に理解した気にはさせないから」と拒まれているかのようでした。 という次第なので、(まだ1回しかワークショップを受けていないというのもあるかとは思いますが)正直、ぜんぜんピンと来ていないというのが現状です。
「どうしてピンとこないのか?」を自分なりに考えてみると、ピンと来ない心当たりは大きく分けて2つ。
ひとつ、今回のワークショップの内容が「知識を身につけるもの」ではなく「知識を広げるもの」であると感じたこと。 少し自意識過剰だと思われるかもしれませんが、日本文化や武道を積極的に学んでいる人は別にして、世間一般の人の中では日本文化についてはなんとなく、少なくとも名前くらいはわかっているほうかな――と自分では思っていました。 しかし、ワークショップの中で日本舞踊や武道の流派をさしてナントカ流みたいな言葉が出てきましたが、それがよくわからない。 一応「名前くらいは聞いたことがある」レベルなので、「なんとなく、薄っすら」とイメージを膨らまることはできますが、結局のところそれは「なんとなく、薄っすら」であって深い理解ではない。 「なんとなく、薄っすら」のレベルなのでうまく咀嚼できずに進んでしまうわけです。 「それは君が物を知らないからいけないんだろう」と言われてしまえばそれまでなのですが、やはり算数がわからない人に数学は難しい。 日本舞踊、あるいは武道や茶道などお稽古ごとを経験している人ならばもっと深い理解を得られていたのだろうと思いながらお話を聞いていました。
2つ目の心当たりは、おそらく近藤さんの「身体演技論」と僕は対極の位置にいるのではないか? と思ったこと。 今回のワークショップを思い返してみると、例えばお芝居の実演では相手の顔を手ぬぐいで隠してお芝居をするというくだりがありました。 これは、相手の顔を隠すことで相手からの視線などの余計なプレッシャーがなくなるため、自分の表現に集中しやすくなる狙いがある――と僕は解釈しています。 この他、全体を思い返してみると、外からの余計な雑念(プレッシャー)を除いて自分自身の能力や表現を引き出しやすくする、というものが多かったように感じているのですが、それに対して、僕はものすごく外の目を気にするタイプです。 ワークショップでは一方的に話を聞くだけではなく、近藤さんや僕を含めた参加者との会話を交えて進んでいくわけですが、ときどき近藤さんからの問いに困ることがありました。 理由は簡単で、いまいち話している内容がよくわからないからです。 しかし、他にも受講している方もいらっしゃる中で考えあぐねている時間はありません。 素直に「わかりません」と言えばよいのですが、やはりそこでほんの少しの見栄みたいなものが入るのか、何かわかったようなことを言おうとしてしまうわけです。 もちろん、別に嘘はついてはいないのですが「この表現はふさわしくないな」とか「近藤さんは以前これを否定していたから、たぶんこの答えは違うぞ」とかそういう余計なことを考えてしまう。 これでは自分自身と向き合う余裕はないですし、素直な表現はできません。
また、近藤さんのお話の中に「同調と識別」という言葉が出てきました。 例えば、電車が走っているところを見ている親子がいるとして、子供は同調しているのでずっと飽きずに見ていられるが、大人は「これは山手線だから」と識別して終わらせてしまう。 この場合の識別というのは「理由や答えを見つけて納得してしまうこと」。もっと踏み込むと「納得しきって(結論を出し切って)興味(の余地)を失ってしまうこと」と勝手に捉えていますが、まさに僕は納得を求めてしまうタイプです。 これがこうだからこうなるという因果関係を求める。筋の通った答えを欲しがるわけです(この場合の答えというのは理論、理屈、エビデンスとも言いかえられると思います)。 昔の伝統芸能では、何かを学ぶときは「質問するな」「自問自答しろ」「見て学べ」と言ったそうです。 要するに「求めたら出てくるようなわかりやすい答えで納得せずに自分で答えを発見せよ」ということなのだろうと自分なりに解釈しています(ニュアンスとしては発見よりも発掘のほうが近いのかもしません)。
今回のワークショップもこれを念頭に置いて進んでいきましたが、これを踏まえると先に書いた僕の考え方のクセ(=筋の通った理屈を求める)は、反対の方向を向いているのではないか? と感じてしまいます。 僕が「身体演技」を身につけるためには普通の人よりも長い長い道のりがあるのかもしれません。 さて、ここまで「よくわからなかった」という気持ちを掘り下げましたが、僕はこの「よくわからなかった」という気持ちは悪いものだとは思っていません。
近藤さんの言葉を使うのであれば、僕はどちらかというと「同調」寄りだと思っていましたが、今回のワークショップを受ける限りでは逆だったかも? と感じました。 また、僕は方々から不器用さを指摘されるのですが、今回改めて不器用な人間であると認識しました。 恥ずかしいので多くは語りませんが、火打ち石がうまく打てなかったり、身体を使う実技では体の力を抜く場面にも関わらず、一人だけ力(りき)んで翌日筋肉痛になったり。 前にも書いた通り、お話の中には納得しかけたものもあるし、ピンと来ないものもありましたが、こうして何か自分について考えたり、自分の能力を知るきっかけができたということは良いことであると思います。
さきほどの「識別」の話ですが、すぐに理屈を求めてしまうあたりは、現代の検索すればなんでも(一応の答えが)出てくる環境に慣れている部分もあるのかもしれません。 考えてみれば、近藤さんのお店に行くとき、当たり前のように乗換案内アプリを開き、また地図のアプリに頼っていました。当然帰り道も同じです。 365日検索に頼って過ごしていますが、1日くらい「よくわからないもの」に触れる時間を作ってみても良いのかもしれません。
もちろん、「よくわからないもの」止まりではなく、自分の身体にしっかり浸透させることができるのであればそれに越したことはないでしょうが、僕には少し難しいあるいは時間がかかるかもしれません。 もし、「私は日本文化に明るいから」「私は演技の土台ができているから」というような、算数ができる方、我こそはモノにできるという方はぜひ参加してみてください。
このワークショップは玄人好みだと思います。 かなり強引に結んでしまいましたが、ここまで、ワークショップの感想とさせていただきます。

素晴らしい感想、本当にありがとうございました。
飯塚さん、かなり良いセンスしてますね。

まあ、ワークショップに来るぐらいだから、、笑。

また、これに懲りずに不思議体験を受けに来て下さい。よろしくお願いいたします。

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